今更のようにnoteの使い方を考える。
コラムやエッセイなどのテキスト、写真イラストなどの画像や音楽などのコンテンツに気軽に値段をつけて売れることを最大の特徴としたnoteのサービス開始から二年半以上経った。何度かネット上で話題にはなったもののいまいちマイナーの域を抜けられないように思えるので、一旦外に出て考えてみることにした。
上記のリンクはnoteにログインしない状態で見ていただきたい。さてあなたはどのような印象を持つだろうか。一体誰のための、何のためのサイトなのだろうか。改めて、私はそう思う。意識する利用者層とは?ターゲットは?どんな人に読ませたいのか?まるで見えてこない。解ったかたがいたら教えていただきたい。
つくる、つながる、とどける
そういったキャッチコピーを掲げてクリエイターのためのSNSを名乗り始まったnote.muではあるが、実際はそのキャッチコピーとはかけ離れたサイトであった。「つくる」ことはクリエイター各人がそれぞれ行わなければならぬのは当然として「つながる」ことはシステム上困難で「とどける」機能などは存在すらしない。看板に偽りありとは、まさにこのことであろう。
noteに登録した人物がまず驚くことは、そのシンプルさと「何をしていいのかわからない」ということであろう。最近では登録さえすればnote公式アカウントをフォローした状態になっているようであるが、それも随分後になってからのことで、サービス開始当初は公式アカウントすら自力で探し出さねばならなかったのだ。
そして、試しに何かしらの記事なり作品を投稿してみたところで反応などろくにあるはずもない。その投稿はどんなに素晴らしい内容であっても、基本的には既にフォローしているフォロワーにしか見えないのだから。その反応の薄さにnoteへの投稿を諦めてしまったユーザーも多いのではないだろうか。
そういったnoteの不自由さには理由がある。noteとは、そもそも一般に向けたサービスではなかったのだ。noteは、計画された当初にはhttps://cakes.mu/に連載を持つライター陣のブログ集であった。それを一般ユーザーに開放したことは大英断であるはずなのだが、その時に考えておかなければならなかった数々のことを先送りにし、あるいは無用なことであると放置したことによって、noteを新天地と夢見たクリエイターたちの大多数は指標を見つけられず迷走し、疲れ果て、noteを離れていくこととなった。
note.muというをサイト作成し、立ち上げ運営している(株) ピースオブケイクにしてみれば「自分たちが作ったサイトをどうしようが自分たちの勝手である」と言う意識があるのかもしれないが、一般に開放(登録時点では身元保証をを求めずハンドルネームという偽名でもかまわないと)してしまった時点で、半ば公共の場所になってしまったことを認識できなかった運営側と、実名だろうとハンドルネームだろうと全員が平等に扱われるべきだというユーザーの意識のズレが、現在までnoteがメジャーになりきれない原因になっているのだと思う。
次回以降、noteの実際の仕様や使いかってについて考えていきたい。
普段は週一でこんなことをしています。