note定点観測

note.muを見続けます。

noteに投稿する・今回は主にテキストの話。

 

 noteを何かしらの発表の場として利用する場合、ルールと良識の範囲内で何を投稿してもいいはずであるが、必ずしも「自分の書きたいことが読者にとって読みたいことではない」点に注意する必要がある。

もちろん、noteで何を目的としてどう活動しようと個人の自由ではあるのだが、より多くのフォロワーを獲得し、自分の投稿した記事を読まれたいと考えるのならば、思いつくまま好き勝手に書いて、それを投稿しさえすればいいというものではないだろう。それで目的が叶えられるとすれば、それは天才と呼ばれる存在である。

 例えば、あまりに専門性の高い内容のものはそれを理解できる読者にはなかなか届きづらいものであるし、あまりに個人的な小さな内容は読者の興味をそそらないであろう。noteのシステム的な問題で、そもそも存在自体を他のユーザーに気付いてもらえない場合も多いのであるが、だからこそ数少ない読者獲得のチャンスを逃してはならないと思う。

 noteで、フォロワーをより多く獲得することを考えたときに、どんなジャンルや内容であれ、ただテキストを投稿し続けていけばそれで望みが叶うというわけにはなかなか行かない。noteをSNSのように使い、他ユーザーと交流を続けながら自分お記事を見てもらうという方法もあるが、ここでは自分の書く、投稿する内容に話を絞る。

 私がnoteを見続けて思う「多く読まれやすい文章」とは、独自性のあるものである。あまり一般の人々が体験したことにない特殊な経験談であったり、世の中の物事に対する独自の視点であったり、独特な雰囲気を持つ創作文(小説など)であったり、そういうものだ。そういったものを書き続け、また自ら広く読者を獲得して読まれる努力をしなければ、noteをSNS的に利用することで仲良くなった相手には読んでもらえても、それが大きく広がって多数の読者を獲得することはできないだろう。ましてや自分の投稿に自由に値段をつけられるnoteとはいえ、大きく稼ぐなど夢のまた夢である。

 noteは「自分の投稿に値段をつけられる、記事を自由に売れる」という点が先行し、それがサービス開始当初や2016年初頭のムーブメントにつながったのであるが、実際はそう簡単なものではないことは既に誰の目にも明らかである。

 「誰でも売れる」ということは「誰でも儲かる」と同一ではない。もちろん、noteを金儲けを目的として使わなければならない理由はないにせよ「どうすれば多くの読者を獲得できるか」ということは、常に考え続けなければならないだろう。